黄金森公園
黄金森公園の野球場。
2011年04月02日
黄金森
黄金森公園から内嶺城跡(写真中央の丘一帯)を望む。
2006年01月14日
陸上競技場横の斜面の中腹にある、17号壕の立て札。
2006年01月14日
陸上競技場横の斜面の中腹にある、19号壕の立て札。
2006年01月14日
黄金森公園の野球場横にある陸軍病院20号壕の入口。20号壕は、19号壕・21号壕と繋がっていて、その交差する場所が手術室として使用されていたのだそうだ。
2005年08月21日
見学できるように整備され、野球場横にある20号壕の出入り口は、出口専用になっている。
2011年04月02日
20号壕の左隣には亀甲墓があり、さらにその左側の薮の中には、21号壕を示す札が立てられている。壕の入口は確認できなかった。
2011年04月02日
2005年08月21日
黄金森公園の外に出て、公園を囲うように走る農道を時計回りに少し進むと、20号壕へと続く山道への入口がある。この道は壕近くで通行止めになっており、現在はここから20号壕へ行くことはできないようだった。
2005年08月21日
農道沿いにある「20号壕入口」立て札から、草むらの中をしばらく歩いたところの風景。もう少し歩くと森に突き当たり、その手前で道が左右二手に分かれる。右側の道は20号壕へ、左側の道は24号壕へと続いている。
2005年08月21日
20号壕へと続く道の途中にあった、16号壕を示す立て札。
2005年08月21日
野球場から20号入口へ向かう遊歩道。
2011年04月02日
16号壕の立て札から20号壕へと歩いてみたが、途中で行き止まりになっていたので、分岐点まで引き返し、24号壕へと向かった。
2005年08月21日
24号壕へ続く道の途中にあった、「20号壕入口」の立て札。野球場横の別の入口からからこの入口までの距離は、50メートル程もあるそうだ。
2005年08月21日
20号入口の建物。
2011年04月02日
喜屋武筋
24号壕の入口。長さは36メートル程で、貫通していない未完成の壕。ひめゆり学徒隊の待機所して使われていた。
2005年08月21日
24号壕の上は平らな広場になっており、植林したと思われる木々が涼しげな林を成していた。
2005年08月21日
24号壕上の広場から「悲風の丘」へと続く道。
2005年08月21日
「仏ぬ前」の石碑の近くから撮影した、「悲風の丘」へと続く道。帰りに確認したところ、県道86号線沿いに「悲風の丘入口」という立て札があって、黄金森公園を経由せずにそこから直接「悲風の丘」に行くことができるようだった。「悲風の丘」へは次の機会に、その入口から行ってみることにする。
2005年08月21日
「仏ぬ前」の石碑(写真左下)がある交差点から、丘の一番高いところ(だと思う)に続く道があったので、その道を登ってみることにした。
2005年08月21日
2005年08月21日
この辺りがおそらく丘の頂上。
2005年08月21日
丘の頂上の林縁に立てられていた「大谷さん埋葬地」の立て札。
2005年08月21日
丘の頂上から南側の斜面を少し下ったとこにある、「散兵壕(交通壕)」の立て札。
2005年08月21日
「散兵壕」の立て札の近くからの眺め。見えているのは、南風原町喜屋武、照屋の辺りだろうか。
2005年08月21日
丘をずっと下っていたら、集落の外れにあるゲートボール場が見えてきた。出口に辿り着いたようだ。
2005年08月21日
いったん丘を降り、丘の東側に回り込む。この森の中の地面の下に、病院壕が張り巡らされている。
2005年08月21日
丘の東側、農道沿いにある24号壕の入口。
2005年08月21日
「仏ぬ前」の道
24号壕から「悲風の丘」への道に入りしばらく登ると、丘の最頂部で、丘の稜線に沿った道と交差する。写真は、交差点の右に行く道の入口に立てられていた「仏ぬ前」と彫られた石碑。
2005年08月21日
「仏ぬ前」の拝所。首里の円覚寺への遥拝所だと伝えられている。
2005年08月21日
「仏ぬ前」の石碑から続く道を、行ける所まで歩いてみることにした。旧盆前に手入れがなされたのか、道はとてもきれいだった。
2005年08月21日
丘の上の道の突き当たりにある大きな岩。岩とその周辺にはいくつか、拝所や墓がある。このあたりは上の御嶽で、イシジャー(『琉球国由来記』には「喜屋武之嶽(神名:イシガワノ御イベ)」と記載されている)という、3つの御嶽からなる御嶽のひとつ。3つの御嶽は、「上の御嶽」、「中の御嶽」、「下の御嶽」。
2005年08月21日
岩のそばに置かれていた香炉。奉寄進の文字が見える。
2005年08月21日
岩から少し離れた場所にある拝所。
2005年08月21日
岩の裏側には石で穴を塞いだような箇所があって、その前にはひと揃いの花立てが置かれていた。お墓だろうか。
2005年08月21日
岩の左側から延びる、丘から降りる小道。
2005年08月21日
丘を降りる道の途中にある中の御嶽の祠。左上の石柱には「中の〓岳」と彫られている。三つ目の文字は読み取れず。
2005年08月21日
黄金森公園の西側の風景。南風原町本部(?)のあたり。
2005年08月21日
悲風の丘
喜屋武筋の西側斜面に立てられている、「悲風の丘」の石碑。石碑の右後方には、南風原陸軍病院壕趾の石碑もある。
2006年01月14日
「悲風の丘」の碑の後方にある、南風原陸軍病院壕趾の石碑。
2006年01月14日