沖縄島の写真「知念城跡」

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県道86号線と国道331号線をつなぐ急坂の途中にある、知念城跡の駐車場。
2004年01月03日
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駐車場の向かいに知念城跡の標識がある。ここから城跡まで約100メートル。
2006年06月24日
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知念城跡へと続く道。この道の下には、石畳道の遺構が埋まっている。修復工事車両の行き来のため、現在はアスファルトで保護されている。
2006年06月24日
アスファルトで覆われる前の石畳道。
2003年09月23日
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2013年06月02日
正門の手前にある遺構。琉球新報の2003年1月10日の記事に、知念城跡保存修理事業の調査で、石敷遺構と排水遺構が確認されたとあった。おそらく、この遺構のことだと思う。
2003年09月23日
知念城跡の正門。
2003年09月23日
内側から。
2003年09月23日
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正門の裏側の、崩れてしまった城壁。
2003年09月23日
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積み直されたが、再び崩れてしまった。梅雨の長雨のせいだろうか。
2006年06月24日
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再修復された。
2009年09月21日
2003年09月23日
内側から。
2004年01月03日
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正門近くにある、方形に並べられた石組み遺構。
2009年09月21日
2005年09月23日
方形遺構の奥の方にある拝所。
2009年09月21日
方形遺構の横の円形の遺構。ちょうど発掘調査中だったようで、普段は土の中に埋まっている遺構が地表に露出していた。
2005年09月23日
裏門内側の発掘調査現場。短い石畳が見える。
2005年09月23日
裏門の横にある焚字炉。
2009年09月21日
ミーグスクの郭の中央やや奥、木々に囲まれるように建つ、火の神の殿。台風などの風雨にさらされているためか、だいぶ朽ちている。
2005年01月23日
火の神の殿の中に置かれている、火之神の石。
2006年03月25日
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仮設(?)の祠。コンクリートブロック製の祠は取り壊されたようだった。
2013年06月02日
火の神の殿の向かい側にある、円形の遺構。
2004年01月03日
2004年01月03日
ミーグスクの奥から、太平洋を望む。南の方角に志喜屋漁港とアドキ島が見える。
2003年09月23日
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ミーグスクの右奥にある友利之嶽。友利之嶽の周りは低い石垣で囲われており、中には久高島への遥拝所がある。写真は、火の神の殿側から撮影した友利之嶽。
2005年05月29日
友利之嶽の全景。草刈り&伐採がなされて全体がよく見える。
2013年06月02日
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友利之嶽を囲う石垣の右端に、小さな切り石が並べられた場所がある。恐らくここが入口か。
2005年05月29日
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友利之嶽の入口から奥へと続く、通路の縁石のように並べられた切り石の遺構。友利之嶽を囲む石垣に突き当たった所で左に折れ曲がっている。その先では、写真のように、幾つかの小さな空間を囲うような形に並べられている。
2005年05月29日
御嶽の奥にある久高島への遥拝所。大きめの切り石が並べられた台の上に、大きな香炉が三つと、その半分くらい大きさの粘土のような石が一つ並べられている。皿のような大きな貝殻も。
2005年05月29日
2013年06月02日
2013年06月02日
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友利之嶽を囲う石垣。所々崩れつつも、かなりの部分が綺麗に残っている。
2005年05月29日
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2013年06月02日
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2013年06月02日
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2013年06月02日
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友利之嶽からワカチバナーを望む。写真左上のこんもりとした林の辺り。
2013年06月02日
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知念城跡の古城の全景。古城は知念城跡表門(写真右下)の左手にあり、新城の半分ほどの大きさがあるようだ。城壁も残っているようなのだが、写真のように森の中に埋もれてしまっているため、外からは確認することができない。
2005年09月23日
ミーグスクから見た古城の城壁。
2007年03月01日
2007年03月01日
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