御嶽への遥拝所でもあるアーチ状の石門。ギリムイ御嶽にあるウサチュヌウトゥーシの拝所や、南風原集落の北にある拝所とほぼ同じ形をしている。石門の後方には、御嶽の最高所へと続く石段がある。
2006年01月09日
御嶽の最高所にある墓と石灯籠。左の墓は、舜天王統の開祖であり、源為朝と大里按司の妹との間に生まれたという伝説もある、舜天王(1166〜1237)の墓だといわれている。
2006年01月09日
墓と、墓の左に立てられている石碑。大里村商工会のウェブ・サイトによると、石碑には「此に骨あり世に遠くして其の人知らず、然れども崇ありて嘉慶20年8月其散骸を此葬」と記されているのだそうだ。
2006年01月09日
食栄森御嶽の横の石畳道を奥へと進み、その先にあるコンクリートの階段を下りたところにある井戸。コンクリート部分に「○○○御川」と井戸の名称が彫られていたが、金網に隠れていて読み取れなかった。
2006年01月09日
参考
- 南城市『食栄森御嶽』(http://www.city.nanjo.okinawa.jp/about-nanjo/movie_ja/2012/02/post-45.html)(参照日:2019年4月30日)