沖縄島の写真「浦添城跡」

入口周辺

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浦添市仲間の住宅地の奥にある、浦添城跡の入口。中央の遊歩道を道なりに進むと浦添城跡、左に進むと浦添ようどれに行くことができる。
2006年04月09日
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城跡入口から東へと延びる遊歩道。
2006年04月09日
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2006年04月09日

伊波普猷の墓周辺

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城跡内にある、沖縄学の父・伊波普猷(1876~1947)の墓。
2005年02月06日
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伊波普猷の墓近くにある洞穴。
2005年02月06日
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2005年02月06日
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伊波普猷の墓の近く、浦添ようどれ側の崖の上に残る、浦添グスクの城壁の跡。
2006年04月09日
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伊波普猷の墓から城跡内へと少し進んだところにある城壁の跡。
2006年04月09日
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2006年04月09日

浦和の塔周辺

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浦添城跡は、太平洋戦争の際、激戦地となった。城跡内には、戦没者慰霊のための和光地蔵尊や慰霊碑、歌碑などが立てられている。
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2005年02月06日
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2005年02月06日
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2005年02月06日

ディーグガマ

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浦和の塔の手前にあるディーグガマ。ここは『琉球国由来記』に記されている「渡嘉敷嶽」(神名:渡嘉敷オヒヤノ御イベ)だと考えられているのだそうだ。
2006年04月09日
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ディーグガマは小さな窪地になっており、そこには、納骨堂、地蔵菩薩、浦添王子遺跡、拝所などがある。
2006年04月09日
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浦和の塔の下にあるガマ。中は納骨堂になっている。
2005年02月06日
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納骨堂の手前にある、「地蔵菩薩」の文字が刻まれた台座に乗せられた石。
2005年02月06日
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納骨堂の右側にある浦添王子遺跡。
2005年02月06日
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浦添王子遺跡の右側にある拝所。
2005年02月06日

展望台周辺

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2006年11月26日
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2005年02月06日
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展望台から東の方角を望む。
2005年02月06日
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展望台から北の方角を望む。宜野湾市〜読谷村の海岸線が望める。
2005年02月06日
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展望台の近くで行われている発掘作業の現場。石畳場の敷石や、四角い切り石の石列、釘や瓦の破片などが出土していることから、建物に関する遺構ではないかと考えられている、と、手前の立て札に書かれていた。
2006年04月09日
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展望台の近くにある、殿の標柱。
2006年04月09日

ハナリジー周辺

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展望台の近くから続く、崖の上の道。
2005年02月06日
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崖の上の道をしばらく歩くと、尾根が途切れて行き止まりになっている。
2005年02月06日
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途切れた尾根の、さらに向こう側にそそり立つ巨岩。
2005年02月06日
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2005年02月06日
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浦添城跡の南西側に沿って走る小道。
2005年05月08日
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道の左手の岩壁にはいくつかの洞穴が見られた。写真は、その中でも特に大きかったもの。入口には慰霊のためのものなのか、石ころが積まれていた。
2005年05月08日
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小道は、ハナリジー(為朝岩)という巨岩がある場所に繋がっている。
2005年05月08日
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2005年05月08日

崖下

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城跡北側の崖下に広がる墓地の一角にある平和之碑。
2005年02月06日

城跡西部

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城跡西部に残る、浦添グスクの城壁の跡。
2006年04月09日
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城跡西部から、安波茶方面を望む。
2005年02月06日
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城跡西部から、ジングスク跡の丘陵を望む。
2006年12月23日
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2005年02月06日
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浦添城の前の碑と馬ヌイ石。現地案内板によると、この石碑は、1597年に浦添グスクから首里にいたる道路を整備した時の竣工記念碑であるとのこと。沖縄戦で破壊されてしまったため、1999年に復元されたのだそうだ。石碑の前に置かれている馬ヌイ石は、ウマに乗るための踏み台だといわれているとのこと。
2005年02月06日
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2005年02月06日
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カラウカー近くから西へと延びる、石畳道の跡。この道は首里城と浦添城を結ぶ道で(浦添グスク→安波茶橋→経塚の碑→ニシヌヒラ・フェーヌヒラ→首里平良橋→首里城)、1597年に尚寧王が整備したと考えられているのだそうだ。
2006年04月09日
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浦添城の前の碑の前の道を、城跡入口に向かって歩くと、途中右手にこのガマがある。戦時中は仲間住民の避難壕として使われたのだそうだ。
2006年04月09日
関連項目
浦添ようどれ
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