浦添城跡の入口近くにある、浦添ようどれへと続く通路の入口。
2006年11月26日
崖壁を下る、浦添ようどれへと続く道。
2005年05月08日
前庭の手前にある石畳道の跡。
2006年11月26日
入口を入ってすぐのところにある、前庭(手前の小さな広場)と暗しん御門(前庭の向こう側に伸びる細道のあたり)。暗しん御門は、もともとは崖の下を通るトンネルのような道だったが、沖縄戦のときに上部の岩が崩れ落ち、現在のような形になったのだそうだ。
2005年05月08日
暗しん御門跡を通り抜け、二番庭へと続く道。
2006年11月26日
墓室のある一番庭へ入る石門と、その手前にある小さな二番庭。
2005年05月08日
浦添ようどれの一番庭。写真右側の岩壁に二つの墓室が掘られており、手前側が西室、その奥が東室になっている。
2005年05月08日
2006年11月26日
英祖王が葬られているといわれる西室(英祖王陵)。「浦添グスク・ようどれ館」に、この西室の内部を復元した展示室がある。
2006年11月26日
尚寧王が葬られているといわれる東室(尚寧王陵)。
2006年11月26日
東室と西室の間に立てられている、ようとれのひのもん。浦添グスク・ようどれ館でもらったリーフレットによると、この石碑は、尚寧王がようどれを改修した1620年に立てられたのだそうだ。
2005年05月08日
東室の左側にある焚字炉。
2005年05月08日
東室の左袖に座る石獅子。元々は二体一対だったが、右袖の石獅子は沖縄戦で失われてしまったのだそうだ。
2005年05月08日